栗平教会は経堂北教会・百合丘伝道所から生まれました
日本基督教団栗平教会は、小田急線の新百合ヶ丘駅から多摩線に乗り換えて2つ目、栗平駅の桐光学園側改札口を出て、柿生霊園に向かって徒歩5分ほどのところにあります。
1977年春、日本基督教団経堂北教会は創立40周年を感謝し「経堂北教会のことだけを考えるのではなく、次の開拓伝道へと踏み出していく教会になろう」(当時の四竈揚牧師の言葉)と、開拓伝道の使命を与えられました。
1979年綿密な調査の末、教会は小田急線百合ヶ丘駅前のマンションの1室を購入することを決議、当時800万円を目標に献金をささげました。ここに、経堂北教会の担任教師だった大澤秀夫牧師の住居を兼ねた「百合丘伝道所」は歩み始めました。
はじめの2年半は大澤牧師家族、主任教師の四竈揚牧師夫妻、奏楽者、信徒長老有志によって日曜の夕礼拝をささげる10人ほどの集会でした。
しかし1982年「より強力に主イエス・キリストの福音を宣べ伝え主のご委託にこたえたい」と朝の礼拝を開始し、経堂北教会からの転会者27名が大澤牧師と歩みを共にしました。新らしく招かれた人たちも次々洗礼を受け、4年後には48名の群れとなる成長を与えられました。
伝道所の成長は親教会の経堂北教会にとっても大きな喜びとなりました。百合丘伝道所のメンバーも大いに励まされ、今度はマンションを出て、土地取得・会堂建築へ向かう旅を決断しました。熱い祈りと献金がささげられました。なだらかな道ではありませんでしたけれども、1990年、開拓から11年目に現在地に土地・建物を与えられ「日本基督教団栗平教会」が誕生しました。