日本基督教団信仰告白
(1954年制定)
我らは信じかつ告白す。
旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の拠るべき唯一の正典なり。されば聖書は聖霊によりて、神につき、救ひにつきて、全き知識を我らに与ふる神の言にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。
主イエス・キリストによりて啓示せられ、聖書において証せらるる唯一の神は、父・子・聖霊なる、三位一体の神にていましたまふ。御子は我ら罪人の救ひのために人と成り、十字架にかかり、ひとたび己を全き犠牲として神にささげ、我らの贖ひとなりたまへり。
神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信ずる信仰により、我らの罪を赦して義としたまふ。この変らざる恵みのうちに、聖霊は我らを潔めて義の果を結ばしめ、その御業を成就したまふ。
教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集ひなり。教会は公の礼拝を守り、福音を正しく宣べ伝へ、バプテスマと主の晩餐との聖礼典を執り行ひ、愛のわざに励みつつ、主の再び来りたまふを待ち望む。
我らはかく信じ、代々の聖徒と共に、使徒信条を告白す。
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。
アーメン。
日本基督教会信仰の告白
(1890制定 使用版:1934年版に依拠)
我等が神と崇むる主イエス・キリストは神の独子にして人類のため、その罪の救ひのために人となりて苦を受け我等が罪のために完全き犠牲をさゝげ給へり。凡そ信仰に由りて之と一体となれるものは赦されて義とせらる。キリストに於ける信仰は愛に由り作用きて人の心を潔む。また父と子と共に崇められ、礼拝せらるる聖霊は我等が魂にイエス・キリストを顕示す。その恩によるに非ざれば罪に死したる人、神の国に入ることを得ず。古の預言者使徒および聖人は、聖霊に啓迪せられたり。新旧両約の聖書のうちに語り給ふ聖霊は宗教上のことにつき誤謬なき最上の審判者なり。往時の教会は聖書に拠りて左の告白文を作れり。我等もまた聖徒が曾て伝へられたる信仰の道を奉じ、讃美と感謝とを以てその告白に同意を表す。
我は天地の造成者、全能の父なる神を信ず。我はその独子我等の主イエス・キリストを信ず。即ち聖霊によりて胎られ処女マリアより生れ、ポンテオ・ピラトの下に苦を受け、十字架につけられ、死して葬られ(陰府に下り)、第三日目に死者のうちより復活り、天に昇りて全能の父なる神の右に座し給へり。彼所より来りて生けるものと死ねる者とを審判たまはん。
我は聖霊を信ず、聖なる公同教会即ち聖徒の交通、罪の赦、身体の復活、永遠の生命を信ず。アーメン
ニカイア・コンスタンチノポリス信条
(『信條集前編』(著作権者:日本基督教協議会文書事業部編 新教出版社 1955))
我らは、全能の父なる唯一の神、天と地、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を信ずる。
また、我らは、唯一の主イエス・キリスト、あらゆる代のさきに御父より生まれたまえる、神の生みたまえる独りの御子、光より出でたる光、真の 神より出でたる真の神、生まれ給いて造られず、御父と同質なる御方を信ずる。万物は、主によりて成り、主は我ら人間のため、また我らの救のために、天よりくだり、聖霊と処女マリヤとによって肉をとって人となり、ポンテオ・ピラトの時、我らのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に応じて三日目に甦えり、天に昇り、御父の右に坐し、生きている者と死んでいる者とを審くために再び来り給うのである。その御国は終わることがないのである。
また、我らは、聖霊、主となり活かし、御父と御子とより出で、御父と御子とともに礼拝せられ崇められ預言者らを通して語り給う御方を信ずる。我らは、一つであって聖き公同なる使徒的教会を信ずる。我らは罪の赦しのための一つなる洗礼に同意を告白する。我らは、死人の甦えりと来るべき代の生命とを待ち望むのである。